盆と正月がいっぺんに来る

お盆もいつの間にか終わったが、iPhoneを使い始めて一月ちょっとになる。iPhoneについては、web上に怒濤のように記事が書かれたが、それも一段落といった感じ。それにしてもこれはたった一つの携帯の機種が発売されたということとはインパクトが違っているのは間違いないことだと思う。
多くの人が指摘していることだが、iPhoneはやはり一つのパラダイムシフトとなる製品になる可能性があると思う。例えばそれはワープロがパソコンに取って代わられた時と似ている。単機能のワープロ専用機はワープロとしては当時のパソコンと比べれば遥かに高機能で使いやすく、専用機といいながら様々な機能が付け足されていた。でも、結果は言うまでもない。恐らくポイントはソフトとハードを分離してコモディティー化することで価格性能比が劇的なスピードで向上して行ったことだったのだろうと思う。

あるいはiPhoneの登場はMS-DOSからMacOS(もしくはそう言いたければWindows)へのシフトをも思い出させる。PCが1次元的に文字が流れるCUIから2次元的に画面が使えるようになったように、1次元的にメニューをボタンでたどる携帯電話からマルチタッチへのインターフェースの変化は、携帯を単に全面液晶とタッチパネルにすれば良いということではない。

あるいはデスクトップPCからノートPCへの変化。メインフレームワークステーションからパソコンといっても良いかもしれない。それまで人がコンピュータのところに行って仕事をしていたのが自分の机やラップトップにコンピュータがやって来たということ。メールやwebはこれまでの携帯でも使えたじゃないかと言うかも知れないが、PCを主に使っている人にとっては、iPhoneでやっとPCとほぼ同等の情報を身につけることが出来るようになったという感覚が強い。これにはmobile meのサービスも大きいと思う。

それから、まあこれはどうでもいいことだけれど、「iPhone黒船論」みたいなのをよく見掛けるが、それはNEC 98シリーズからDOS-Vへのシフトに似ていなくもない。1ユーザとしては別に商売としてどうかというのはあんまり関係のはない話なので興味はないけれども。

それで、何を今更ぐだぐだ言っているかというと、iPhoneの登場というのは、こういったこれまでのいくつもの大きな変化が一時にやって来た感があるのだということ。まあその、盆と正月が一時に来たみたいな感じがある。
確かに色々不安定なところや遅いところもあって、ちょうど初期のMacintoshみたいといえばそんな感じもするわけだが、その後の進化を考えれば全体としては正しい方向だったのだろうと思う。ぼくらは今、そういったところに来ている。そして多分、物事の進歩のスピードは以前よりもずっと速くなっているというのが、恐ろしいところである。