人はなぜ血液型の話が好きなのか

日本人は血液型の話だ大好きだという。ぼくは血液型なんかで性格が決まってたまるものかと思うのだが、世の中はそうではないらしい。大学の生物学の先生ですら、強烈に血液型占いを信じている輩がいる。誰とは言わないけど...。
血液型占いは、血液型が4つのパターンしかなくて、それぞれの性格というのがまあ大抵の人に当てはまるものだから、誰にとっても信じやすいのだということは、よく言われることだ。A型の人は几帳面だというけれど、どんなにずぼらな人でも几帳面な部分を持っているし、もちろん同時におおらかな面も持っている。
でもね、多分血液型占いをみんなが大好きな理由はもう一つ別にあると思う。それはぼくら一般人が知ることの出来る唯一の「自分の遺伝子の情報」だってことだ。日本人は結構血筋を大事にするし、1953年のワトソン・クリックのDNA二重らせん構造の発見以降、生物学も遺伝子至上主義をひた走っている。生物はほとんど遺伝子で決まっていますよという考え方、要するに瓜の蔓に茄子はならぬって理屈だ。確かにそれはそうで、生物学が進めば進むほど、いかに精巧に遺伝子が我々の体を作っているかが明らかにされてきた。DNAを扱う分子生物学は生物学のほとんどの分野で必須のものである。
だけど、それだけじゃないということもぼくらは良く知っている。氏より育ちとも言うじゃない。養子縁組をして親子とも幸せな人生を送っている人たちだってたくさんいるわけで。職業柄、クローン人間をどう思うか訊かれることも多いけれど、どうしてみんな遺伝子だけで全部決まると思いたがるんだろう。確かにクローン人間はコピー元のドナーの人と同じ遺伝子を持っているだろうけれど、双子の兄弟が同じ人じゃないのと理屈は一緒で、別にクローン人間を作ったからって人間をコピーできるわけじゃないのに。ま、でもとにかく遺伝子で全部が決まるって考える人が多いのも確かなことである。双子の兄弟が似てるのも間違いないことだしね。
で、血液型だけど、これはみんなが知っている自分の遺伝子。ほとんどの人が自分の持っている遺伝子型を知っている。たとえばぼくの父はO型で母はA型、だからA型のぼくの遺伝子型はAOだと思うが、これだけの情報でAは母から、Oは父から遺伝したことも簡単に分かる。
遺伝子で全てが決まると思っていても、容易に得られる遺伝子の情報って血液型くらいしかない。だからそのちょっとしかない情報で全部を説明しようと思っちゃうんじゃないのかな、きっと。
ま、どうでも良いことだけど、遺伝子の数は3万から4万あるって言われていて、そのうちどのくらいが人によって違っているのかはまだ良く分からないけれど、それにしても4万のうちのたった一つの遺伝子の情報で性格を全て説明しようって言うんだから乱暴な話だと思う。
というわけで、血液型占いは占いであってちっとも科学的じゃないと思うけど、別に科学的じゃないこと以外は意味がないってものでもないのでぐずぐずこんなことを書き連ねている方がカコワルイってことですな。