DNA鑑定

横田めぐみさんの問題で北朝鮮は相変わらず容認しがたい対応を続けていて、ミサイルの問題もあわせてますます看過しがたい状況である。そんな中、たまたま昨年の北朝鮮横田めぐみさんのものとする遺骨のDNA鑑定について書かれているblogを見かけた。
http://shinka3.exblog.jp/1779707
Natureに掲載された二つの記事を引用して帝京大学の鑑定結果についての提出の仕方と、日本政府の扱いについての問題を指摘している。恥ずかしながらNatureにこのような記事が出ていることに気がつかなかったこともあり、このblogの記事のおかげで改めてこの問題を考えさせられた。
何が問題であるかはリンク先の「5号館のつぶやき」さんの記事と、そこからリンクされているNatureの二つの記事を見ていただければ十分なので、先ずそちらを見ていただきたい。
Natureの記事は、注意深く公平にきちんと書かれていて、特にはじめの方の記事は日本の立場にも十分留意して書かれていると思った。ここで問題になっているDNA鑑定というのはPCRという技術を用いてごく微量のDNAを増幅し、その配列情報からそのサンプルに含まれたDNAが比較するサンプルと同一であるか否かを調べるものである。科学警察研究所ではDNAを抽出できずに判定不能という結果を出したが、帝京大学の法医学教室では横田めぐみさんのDNAとは異なる複数人のDNAが検出されたため、「遺骨は別人のもの」と結論し、それに基づいて日本政府は北朝鮮に対して「遺骨は横田めぐみさんのものではない」という判断を公式見解としたというのが、経緯である。北朝鮮はこれに対して、遺骨が別人のものであるとした検査結果はでっち上げだと繰り返し避難していることは報道の通りである。
さて、Natureの記者は実際に鑑定を行った帝京大学の講師にインタビューをして、なぜ科警研では検出出来なかったDNAを検出出来たのか、1200度で焼いたとされる骨からどうしてDNAが増幅出来たのか、本人の意見を聞いている。帝京大学の先生はnested PCRという方法を使ってサンプルを増幅したからうまく行ったのだと話している。また、検出されたDNAがもしかしたらコンタミネーション(サンプル以外の人のDNAの混入)の結果である可能性も否定出来ないと鑑定をした本人も考えていることも書かれている。
さて、ぼくは法医学は全くの門外漢ではあるが、日常的にPCRをしているものとして、ちょっと感想をメモしておきたい。先ずnested PCRは確かに非常に感度は上がる。でも別にそんなに特別な方法じゃない。特にPCRで増やしにくい時に用いられる常套手段である。駆け出しの大学院生だってすぐに思いつく方法の一つだ。それを最先端の実験技術のように思ったら、それはちょっと感覚がずれてしまう。それから遺骨を焼いたとされる1200度という温度。これはもう、絶対にDNAは残らない。多分、180度で2時間も処理すればDNAは完全に燃えてしまうだろう。1200度が本当なら絶対PCRはかからない。最初ぼくはテレビのニュースでDNA鑑定の結果が出たという話を聞いた時に思ったのは、北朝鮮ではかなりいい加減に火葬をするもんだなということだった。言葉は適切ではないが「生焼け」のような状態でなければどんな方法だってDNAを検出出来るわけはないのだから。もちろん周りが1200度だったからと言って、まんべんなくその温度にさらされたという必然性はないし、そもそも1200度という温度の根拠もぼくは知らないので、何とも言えないのだが。ただ、常識的に考えればサンプルを見た人は、それがどの程度の高温にさらされたものかは、ある程度想像出来るだろうと思う。少なくともPCR出来るかどうかは、ある程度見当がつくんじゃないかと思う。そこのところは、これらの記事を読んだだけでは分からないし、実際我々には知りようはないだろう。
さて、ぼくが一番問題だと思った点は、どこまでいっても検出されたDNAが誰のものかは分からないだろうという点。もし、nested PCRをしなければ検出出来ないほど微量のDNAしか残っていなかったのだとしよう(現にそう言われているようだ)。そんな微量のDNAはどこからでもコンタミネーションする可能性が考えられる。髪の毛の毛根一つ、垢のかけら半分でもつけば十分である。極端なことを言えば1分子でも増えて来るかもしれないのだから(複数回増幅出来たなら、1分子じゃなかったんだろうけど)。それでも、その遺骨のDNAだったか、外から由来したかは証明のしようがない。そんなこと原理的に不可能だ。十分な量のサンプルがあれば間違えることはないけれど、運が良ければ増えて来るというような状況だったのだとしたら(そうじゃなければnested PCRでなければ増えないなんてことはあるはずがない)、何も確かなことは言えないというのがPCRの実験をしたことのある人なら常識だろうと思う。骨を洗った溶液ではPCRがかからなかったけれど、骨から抽出したらPCRが走ったというようなことが書かれているので、それが得られたDNAがそのサンプルの骨に由来するものだろうと結論した根拠なのかもしれないが、これははなはだ心許ない推論である。
ぼくは、実験の結果を疑ってはいない。確かに別人のDNAが複数出たのであろう。けれども、その解釈として「遺骨は横田さんのものではない」というのは飛躍が過ぎると思う。データを見ていないので断言はできないが、Natureの記者の取材の通りなら、この結論を出すことは出来ない。科学の論文なら、誰でもすぐに実験の結果とそこからどのような結論を導いたのか見ることが出来るので問題はないのだが、この種の間的結果はなかなかそれが簡単ではない。にもかかわらず、結論だけが一人歩きして「科学的」として信じられるとしたら、それは恐ろしいことだ。